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ペリリュー・沖縄戦記

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1年前くらい?に夜中にテレビでたまたま、ペリリュー島の戦いの特集を見た。
ガダルカナルやサイパン、タラワ環礁、硫黄島、沖縄本島、、、
それまで本やテレビ、祖父の話を通して見聞きしてきたどの戦争よりも、ペリリュー島の戦いは過酷なものに思えた。
その番組は、アメリカ軍の記録フィルムに基づき作られていたが、こんなにも沢山の記録が残す余裕がアメリカにはあったのか…ということもショックだった。
いつかもっと詳しくペリリュー島の戦いについて知りたいと思っていたら、たまたま本屋さんでこの本を見つけた。


この本は、1人のアメリカの青年が志願兵として入隊し、訓練を経て名実ともに海兵隊員となり、ペリリューと沖縄本島の前線で戦った記録である。
私がもっと知りたいと思っていたのは、
  • どのような気持ちで自ら志願したのか?(日米で差があるのか?が、ずっと気になっていた)
  • 海兵隊員として戦争の恐怖とどのように向き合っていたのか?
主にこの2点。

読んでみて驚いたのは、
限界を超えたところで起こるあまりにも残虐なことの数々…
これまで、日本の本やテレビ、映画でもあまり伝えられていない部分だと思った。
きっと、あまりに辛すぎて、誰もが目を逸らしたいことなんだろう。
思い出したくもないし、そんなことが戦時下とはいえ、行われていたことも、黙認せざるをえなかったことも、全て無かった事にしてしまいたかったのかもしれない。

志願兵の動機は、日米そんなに差はないようだった。もう少し違うのかと思ったが、当時としてはごく当たり前だったのかもしれない。
そして、海兵隊員としての帰属意識が、心の支えであったことが、とてもよく伝わってきた。


延長線上…

私は、国家は時として暴力装置になり得る存在だと思っている。
近代以降の戦争は、単なる暴力でも、単なる戦闘でもない。
あくまで政治の延長線上にあると思うから…だ。

今となって、当時の戦犯を非難するのは簡単だが、それもちょっと違う気がする。みんな分に応じて、それなりに一生懸命生きたのだと思う。
しかしながら、当時の意思決定のあり方など、反省すべき点は多々ある。最近衝撃的だったのは、『そんなことをとても言い出せる雰囲気ではなかった』という理由で、戦争が始まったり、なかなか終わらなかったり…という実態があったということ。そーいう点は、大いに反省すべき点であると思う。

何においても、振り返って、誰かを非難することは簡単だ。
でも、それは本質的解決にはならない。
問題の本質はどこにあるのか?
常に考え、然るべき時にそれを勇気を持って提言する。
提言できるような環境を整えておくことが一番重要な気がする。
周りの人の考えに耳を傾け、取捨選択しながら、どんなに苦しい状況でも、そのときにできるベターな選択をし続ける。
正解なんて、きっとどこにもない。
そんなの後の時代の人たちが、自分の時代の価値観で評価してるだけ。


戦争に限らず、自分が見えるものしか見ようとしない裸の王様ほど怖いものはない。