今週の読書 2015 vol.11
私の密教に対するイメージは、
- 善悪の明確な概念があんまりない感じ
- 基本的に何でもアリ
- 現世を肯定(ある意味、とても現実的)
そんな漠然とした感じでした。
この本を読んでみて、あながちこのイメージは間違ってない感じなのだとわかりました。
しかーし、新たに疑問も湧いてきました。
- 釈迦が唱えた仏教とは結構違ってきているのではないか?(解脱とか無いし…)
- 相反するような価値観があるように思えるが、どのように捉えているのか?
- 形而上学的な純密を完成させた空海が、そこに至るまでの過程
- 東寺と高野山という役割の異なる拠点の意味とは?
- どうして空海の密教は残っているのか?(インドや中国では消えてしまったのに)
- 雑密的なものと仏教をどうやって同じ土俵の上?で捉えたのか?
などなど。
『何でもアリ』的な価値観からきてるのかもですが、その価値観が形成される過程と空海がら体系化した密教の理論ももう少し知りたいなぁと思います。
また、他の本も読んでから、いつか再読してみようと思います。